そこには最近階段で脚を痛めた8期の佐木さんも見送りに来てくれた。メンバーは1期から51期まで(70歳から18歳まで)の22名。平均年齢は推計44歳であった。出発する頃になると、雨が上がってきた。6:50に出発。先頭は50周年記念山行委員長の11期安藤さん、殿(しんがり)は2期吉野さんと思われたが筆者は前の方にいたため確認はしていない。登山口とおぼしきところに登山者カウンターがあり通過した人数を数えている。ここまでは舗装された車道で、この先は細い道に入るが、そこも舗装されている。源泉小屋に行くためのようだ。しかし右側は深く切れ落ちておりバランス感覚の鈍ってきた中高年には一寸怖いところもあった。道ばたには所々温泉が湧いていて硫化水素の臭いが漂っている。前方に滝が見えたところで休憩。ここも足元が切れ立っておりやはり怖い。ここからもしばらくは沢沿いに歩く。他の登山パーティーとは抜きつ抜かれつ状態となるが、そのたびに22人が通過するので相手のパーティーには迷惑であったと思われる。
麻平分岐を過ぎると、いよいよ尾根への登りで急登となった。登山者が多いせいか登山道が深くえぐれたところがありアルバイトを強いられた。胸突き八丁という急坂を過ぎると広場に出た。(9:20)そこが天狗堂という分岐であった。今山行のOB中の最大勢力である17期が自然の中の生活と都会生活のバランスについて議論していた。
ここにも登山者カウンターがある。この記録はどのように利用されているのだろうか。ここからしばらくは傾斜が緩く、光善寺池という池もある。その先には冷風が吹き出しているという風穴があったが、なぜか風は殆ど吹いていなかった。
この当たりから山頂部に入り傾斜が急になってくる。その入口が鎖場という名前の岩場になっている。鎖場を過ぎても山頂までずっと急登が続くが、足元には粉砂糖のような新雪が現れてきた。また、西方には北アルプスの山々が望まれた。
11:00安藤委員長の予定通り妙高山南峰に到着した。妙高山の最高点即ち山頂はこの南峰であり、それが2454mという妙高山の標高となっている。かつては、山の標高は三角点の標高で現わされており、妙高山の標高も北峰にある一等三角点の高さ2446mとされていた。
今から10年ほど前、国土地理院は山の標高を見直し、三角点ではなくて最高点をその山の標高とすることにした。妙高山の標高もこれに倣って南峰の標高である2454mとなった。
しかし、北峰の方に三角点があり、広くて休むのに向いているため、2446m三角点の目の前に2454mという標識が建っているという奇妙なことになっている。その北峰の頂上で昼食を取り、記念撮影をした。
また筆者は一通り現役諸君との相互紹介をした。
頂上に名残を惜しみつつ天狗堂まで往路を戻る。(13:09)ここから右にコースを取り新赤倉温泉へ下る。すぐに林道に出て、しばらく行くと大谷ヒュッテが建っている。無人だがきれいな小屋であった。林道をそのまま行くと山小屋の近くに出るのだが、工事中のため通行止めになっている。しかたなく左の山道にはいるが、結構傾斜がきつく最後の力を振り絞って歩くといった状態となった。その甲斐あって前方が開けスキー場に飛び出した。すぐ下にスカイケーブルの駅があった。(15:00)ここで一応記念山行は終了した。が、歩き足りない(?)現役と34期の小野さん(普段のOB山行委員長)と筆者は、スキー場のゲレンデを滑るように下っていった。新赤倉温泉の岡山館で汗を流して記念山行は完了した。
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